D.M.C.が旗揚げされたのは、今から19年前の1998年のことです。今年あたり、大学生になった人から参加希望が来て「自分が生まれた年に旗揚げしたんですね!」なんてキラキラした目で言われてみたいものです。その人にとっては、19年前なんて“歴史上の話”ですから。

 もともと、D.M.C.という名が生まれたのは、神奈川県の西の方にある、某県立高校の演劇部です(確か1993年)。今でこそ、神奈川県大会に時々出場していたりするようですが、当時の県西学区は、(現在は廃校の)常連校がいたおかげで、県大会に出るなんてことはあり得ない状況でした。高校演劇だけじゃないのかもしれませんが、大人(=顧問)の事情に左右されるものはないんじゃないかと、当時から薄々感じていましたが、実際そういうものらしいです(なので、現役の演劇部の人には、常連校に勝てなくても、審査員からけちょんけちょんに言われようと、本気でやりたい、好きでやりたいなら挫けずに続けてほしいと思っています。あんな偏った評価、気にすることはありません。)  

 そうは言いつつも、何かよく分からない妙な“ライバル心”を抱いていた部員たちは、「ささやかな抵抗を!」ということで、日々運動部の圧力にも負けず、暗く狭い部室でワイワイ(花札に)盛り上がっておりました(何で演劇部って、運動部に目の敵にされることが多いんでしょうね)。

 当時、その常連校が略称を使っていまして、Y.○.C.C.って。そこに目をつけて「うちも対抗して略称付ける!」ってなったんですね。お揃いのウィンドブレーカー作ったりして(当時、オリジナルのウィンブレ10枚発注したら、1人あたり10,000円だったような気がします、高っ!)。部員集まって、あれこれ考えた末に出てきたのが“D.M.C.”という略称でした。

 いまだに「D.M.C.って何の略なんですか?」とか「デトロイト・メタルシティ好きなんですか?」とか言われますが、実際のところは、

 D.M.C. = rama embers lub …つまり「演劇部」

 ちなみに、辞書を見る限り、演劇部は“Drama Club”でいいみたいです。誰だ、調べたの。後年、D.M.C.を劇団として旗揚げするにあたり、当時の打合せノートには、こんなメモが残されています。

【「舞台」を続けるために、演劇部時代の「楽しさ」を忘れないように】

 1996年3月、OBとなった部員3人で「劇団D.M.C.」を旗揚げしようと計画を立てていたものの、メンバーを思うように集めることができず、頓挫します。少し時間を置いてからもう一度検討を始めてメンバーを募り、同年10月に改めて活動を開始しました。当時、まだ経験の浅いメンバーがほとんどだったため、旗揚げに向けて2年間の準備期間を設けた上で、1998年8月、第1回公演「ヴァーミリオン回帰」を上演。念願の旗揚げを果たします。  

 その後、1999年に「斜め45度からの僕たちの光景と」、「White Noize」、2000年に「Garden of」、2001年に「青い箱~それぞれの生活~」を上演。この頃から、学生だったメンバーが社会人へとなっていき、環境変化の中で、思うように活動ができなくなってきた時期でもありました。そのため、2004年の「スズノネ」まで3年のブランクが生じることとなりました。

 「スズノネ」上演後、ほぼメンバーが社会人となっていた中で、社会人劇団の永遠の課題である「存続の危機」に立たされます。活動に対するスタンスについて、意見をぶつけ合った時期でした。このまま消滅の道へ進むのか、あるいは続けるのか…という状況に追い込まれます。 

 でも、D.M.C.は続けることを選びました。公演ペースが落ちようと、メンバーができる範囲で、発表会ではなく劇場で公演を打つ。逆に「社会人でも、ここまでできるんだ」というのを見せよう、という結論に至ったのです。その後、しばらく一緒にやってきたメンバーの退団、新たなメンバーの加入を繰り返し、2008年に「クロスワード」で旗揚げ10周年公演を上演しました。

 2010年に「カモン!シアターグランパ」、2013年には「カモン!シアターグランパ’13」として再演。2015年には「スナフキンの手紙」で初の既成戯曲を上演、過去最多の観客動員数を記録しました。

 また、公演の合間を縫って、他劇団への客演や別プロジェクトなどにも活動の幅を広げるようになっています。

 今では旗揚げに参加したメンバーは大宮つかさのみ。公演のたびに新しいメンバーを迎えて、劇団というよりもプロデュース公演的な活動へと変化しました(そんなこともあって、ここ最近は「劇団」という名称を使わず、単に「D.M.C.」と使っています。気づきました? …あ、気にしてない? それは残念)

しかしながら、ここまでやってこられたのは、旗揚げから現在までD.M.C.に参加してくれたメンバーが、その時々に全力で舞台に向き合ってきたからこそ、今もこうやってD.M.C.が存続できているのではないかと思っています。いろいろ迷惑を掛けたこともたくさんあります。今は、そんな皆様に感謝。いまもどこかの劇場で、同じように舞台に向き合っていたりするのかな…。

 そして、いまこのページを修正しているのが2017年。このなれそめの文章も、老舗の焼き鳥屋のタレのように、継ぎ足し継ぎ足し書いています。何と、来年旗揚げ20周年ですってよ! 20周年イヤーは、何かぶち上げるつもりです。

 ここに書くのも少し憚られるのですが、旗揚げ20年ともなると、微妙に“行く先”を意識し始めている自分がいます。齢は勝手に重ねていくので抗えないのですが、「この先、体が動くうちに、あと何回舞台に立てるんだろう」。そんな不安が一瞬よぎることがあります。でも、周りを見れば50、60になったって、普通に舞台に立っている人はいっぱいいるじゃないか! 俺ぁそんなオヤジになるんだ!と鼻息荒く、稽古場に通っているのです。自分よりも一回り近く下の世代と、仕事以外に一緒に何かをすることができる場所があるなんて、そうそうない贅沢な環境だと思いませんか?

これからも、社会人劇団として「演劇部のような楽しさ」を求めながら、マイペースに進んで行きたいと思っています。

引き続き、メンバーともどもよろしくお願いいたします。

2017年4月
D.M.C. 大宮つかさ

<トップに戻る